大木囲貝塚
- 【所在地】七ヶ浜町東宮浜字西大木、東大木、南下方ほか
- 【指定日】1968年(昭和43年)3月18日 国史跡
- 【時代】 縄文時代前期前半~後期初頭
概要
松島湾内沿岸では縄文時代早期から晩期の貝塚が約70か所確認されており、貝塚が密集する地域の一つとして全国に知られています。
大木囲貝塚は松島湾の南側を画するように突き出た七ヶ浜半島にあります。縄文時代前期(約6000年前)から後期初頭(約4000年前)にかけての貝塚を伴う集落跡です。標高約38mの丘陵上に営まれた集落で、丘陵の斜面部には保存状態が良い豊富な種類の資料を含む貝塚が残存しており、七ヶ浜半島における縄文時代前期・中期の拠点的な集落であったと推定されます。
松島湾の貝塚は縄文土器、漁具や装身具などの骨角牙貝製品、人骨など豊富な資料が状態良く残っていること、縄文時代の様々な時期の貝塚が残存することなどから、大正時代から多くの研究者や研究機関により調査・研究が行われてきました。特に縄文土器は「大木式土器(だいぎしきどき)」と呼ばれ、大木囲貝塚は「大木式土器」の名前の由来となって貝塚として全国に知られています。大木式土器は東北地方中・南部を中心に広い地域で製作・使用された土器で、縄文時代前期・中期の年代を判断する基準的な資料の一つとして有名です。
1968(昭和43)年3月に国の史跡に指定されました。指定地内は「大木囲貝塚遺跡公園」として整備・公開されており、出土資料は隣接する七ヶ浜町歴史資料館で収蔵・展示しています。
主な発掘調査の歴史
- 1917年
- 松本彦七郎(東北帝国大学理学部)
- 1918年
- 長谷部言人(東北帝国大学医学部)
- 1925年
- 清野謙次(京都帝国大学医学部):東貝塚・縄文時代中期(大木7~8b式)
- 1927~29年
-
山内清男(東北帝国大学医学部)
- A地点:東貝塚・縄文時代前期(大木1式)
- B地点:西貝塚・縄文時代中期(大木8a~10式)
- C地点:東貝塚・縄文時代中期(大木7a式)
- D地点:地点不明・縄文時代前期(大木3~6式)
- E地点:地点不明・縄文時代前・中期
- F地点:地点不明・縄文時代中期(大木7b式)
- G地点:地点不明
- 1948年
- 鎌倉学園考古学部:地点不明・縄文時代中期(大木9・10式)
- 1949年
- 伊東信雄(東北大学文学部):イ地点・縄文時代前期
- 1956~58年頃
- 慶應義塾大学考古学研究会:A~F地点・縄文時代前・中期
- 1963・65年
-
東北大学教育学部歴史学研究室
- A地点:東貝塚・縄文時代前期(大木4~6式)
- B地点:東貝塚・縄文時代前期(大木2b式)
- C地点:東貝塚・縄文時代前期(大木5・6式)
- D地点:北貝塚・縄文時代前期(大木1式)
- E地点:西貝塚・縄文時代前期(大木5・6式)
- 1968年
- 大木囲貝塚の国史跡指定
- 1973~78年
-
七ヶ浜町教育委員会の調査(史跡整備関連調査)
- CL50地区 (東貝塚・大木2a式・縄文前期)
- CF43地区 (東貝塚・大木1~3式・縄文前期)
- CS77地区 (西貝塚・大木1~6式・縄文前期)
- FF60・61地区 (北貝塚・大木1~2式・縄文前期)
- 1986・1987年
-
七ヶ浜町教育委員会 集中豪雨に伴う災害復旧関連調査
- 西貝塚・縄文時代前・中期(大木1~10式)
- 2012年
-
七ヶ浜町教育委員会 集中豪雨に伴う災害復旧関連調査
- 東貝塚・縄文時代前期(大木1~3式)